岡崎先生は1996年5月に交通事故に会い、重傷を負いました。岡崎ファンは衝撃を受けましたが、先生の容態についての情報はほとんどありませんでした。私たちは必死に情報を集め、ネットで交換しあいました。先生の容態は数年間は厳しい状況が続いたようですが、2000年に入ってからは徐々に元気になってきたようです。
事故から現在まで、岡崎先生の回復していく過程をまとめました。出典の明確な、確かなものだけを集めました。
1996 交通事故に遭う
1997 病院でリハビリ
1998 意思疎通できず
2000 知人を憶えてる
2002 笑う、海に行く
2004 漫画賞受賞
2006 笑いが絶えない
2008 温泉巡り
2010 小沢ライブ鑑賞
2012 試写を見に行く
2015 岡崎展(世田谷)に掲示
2016 岡崎展(伊丹・福岡)に掲示
2017 ハロウィンに行く
2018 海外旅行?!
2019 小沢ライブへ
1996年5月
交通事故に遭う。みんなが必死で励ます。
岡崎京子先生が1996年5月19日18時半、東京都世田谷区の自宅の近くで夫の朱雀正道さんと散歩中 に飲酒運転の4WDにはねられる。頭部打撲・頭蓋骨骨折・脾臓破裂で東京女子医大に入院、緊急手術するも、意識不明の重体。テレビのニュース速報、ラジオ、インターネット、朝日新聞、読売新聞、日刊スポーツ等で報道される。夫は全身打撲、骨折で1ヶ月の重症、別の病院に入院するが、事故の翌日には車椅子で奥さんを見舞いに行ったもよう。
当時の状況についてかとうけんそうさんのページに記載あり。
『マジック・ポイント』他で何回か共作している大原まり子、5月の日記で心配。
週刊文春6月6日号より抜粋「19日新宿区の大学病院に運ばれ、頭蓋骨骨折と内臓破裂に対し、開頭術と脾臓摘出術を施行、21日には危篤状態を脱し、22日には『(手で)グーを出して、パーを出して』といった指示に反応するようになった。」頭部及び全身打撲で、相当ひどい事故だったようです。当然意識消失、出血多量でショック状態であり、分を争う状態だったはずです。しかし22日には「指示に反応できる」ということは、少なくとも外部からの呼びかけとその内容を理解し、動作で答えることができるわけで、「意識不明」と書いてありますが、医学的には意識は「少しある」状態です。少なくともこの時点で、最悪のシナリオは脱したと判断できます。術後4日でこれなら、意外と意識の回復もスムースなようで、とりあえず一息ついていいと思ったのですが…。
6月18日の日経朝刊「まんがワールド」欄で、いしかわじゅん氏が事故のことを書いている。
「彼女は、京子ちゃんは、ぼくにとって日本一だった。(中略)よりによって、なぜ彼女が選ばれなくてはいけなかったのだ。(中略)(「ヘテロセクシャル」について)どれにも共通しているのは、岡崎京子の、目のすごさだ。形あるものを疑い、人間の本心を引き出す、その視線の威力だ。(中略)ぼくは、毎日祈っている。彼女の一日も早い回復と、現場への復帰を。」
SFマガジン8月号のあとがきで、香山リカさんがはげましのコメント。
自動車雑誌の月刊『navi』9月号にコラムを連載中のえのきどいちろう氏が、 「オカザキ、頑張れ」と2ページ。7月上旬に書かれた文章で、その時点での病状を要約すると、「まだ集中治療室で治療中で、 ようやく肺の手術で自分で呼吸ができるようになった、意識はない」といったとこです。身体面では、1カ月近く人工呼吸器を外せなかったわけです。既に脾臓も摘出して いますから、全身の臓器にダメージが及んでいると思われます。従って相当体力も消耗しているはずで、回復にはかなり時間がかかりそうです。精神面では、1カ月半集中治療室にいて、まだ呼びかけに対して明確な反応はないようです。脳の損傷も軽くはないと思われます。その後2カ月たちましたが、あまりいい話は伝わってこないので、まだまだ予断を許さなそうです。しかしえのきど氏は、彼女のマンガ家としての気力と体力を信じ、「オカザキもきっと大丈夫だ。信じてるぞ。」と、励ましのエールを送っています。
1996年 夏・秋
治療が長引く
隔月刊『CUT』9月号(8月19日発売)で、吉本ばなな氏がコラムで岡崎先生に ついて1ページ。同じ作家として、同じ時代を生きる女性として、岡崎先生がとても大切な存在だと語り、一方見舞いに行った時の状況について、岡崎先生は必死に生きようとしていると。読んでいて勇気のわいてくる文章でした。
『BSまんが夜話・第5夜・岡崎京子』(8月27日(火) 0:15〜1:15am、NHK衛星放送第2)で「決していい状態とは言えない」とのこと。
「ヘルター・スケルター」が終了した後「森」が新連載第1回で中断になってしまった 月刊『FEEL YOUNG』(祥伝社)では、毎回編集後記で岡崎先生の容態を伝えてくれました。7月号では、快方に向かう兆しが見えてきたとのことでした。8月号では、「集中的な治療が続き、長期的な視点に立って…」と書かれていました。 これは、治療が長引いていることを意味しています。ちょっと心配でした。9月号では、「一歩ずつ確実に回復しているとお伝えできます」とのこと。少なくとも 悪くなってはいないらしい。いずれにしろ長期戦。
10月号では、「依然入院中ですが、少しずつ良い方向に向かっています」 具体的な記述がないため、ちょっと心配。
11月号では、「現在緑に囲まれた東京近郊の総合病院で、リハビリを視野に入れた治療を続けています」大学病院での急性期治療を終え、転院して長期戦の構え。
12月号では「表情に微妙なつやが出てきて少しずつ回復しているそうです」 この時点ではまだ意識はなくてコミュニケーションはできない状態だったと思います。
1996年 冬
わずかに明るい兆しが見える
『FEEL YOUNG』新年号(12月8日発売)の編集後記では、最近の岡崎先生の 容態を「目があうと微笑む」と伝えています。これは、目を開けることがあって、人の顔を認識できて、誰かが自分を見ていると 理解できて、それに対して微笑みという表現で反応を返すことができるということです。そんな、あたりまえのことが、今の岡崎先生には大冒険なのかもしれません。 今までは意識が戻ったという話はなかったので、これは、とっても大きな一歩です。短い記載なので、どこまで判断していいのかわかりませんが、いい噂も増えてきています。
1カ月前までは良くない噂ばかりだったので、ほんとにいいのかもしれません。
12月24日頃発売の隔月刊『クイック・ジャパン』No.11の「編集部より」に、 岡崎先生の近況が載りました。編集部の赤田氏が家族から直接うかがった話です。要約すると、以下の通りです。「意識は回復したが、まだ気管切開していて、喋れない。重症で身体もまだ自由に動くとは言えないので毎日リハビリをしている。小沢健二の新譜を聴いてニッコリ微笑んだりする。」音楽を聴いて微笑むのは、意識はかなりはっきりしていて、感情も安定していると思われます。おそらく状態に波があるとは思いますが、精神機能はかなり改善しいてると思います。「気管切開」は、咽を切って管を入れ呼吸を確保する方法で、まだ呼吸機能(肺や肋骨など)が安定していないようです。息苦しくなったりすることもあるかもしれません。身体がどの程度動くのかは、この内容からはわかりません。悪ければベッドから動けず、筋肉が衰えるのを防ぐために手足を他の人に動かしてもらっているのかもしれません。良ければもう歩行器や杖を使って歩いているのかもしれません。ただ、話の感じからは、まだせいぜい起きあがるのがやっと、という印象です。
編集部には岡崎先生を心配する手紙が少なからず寄せられ、赤田さん自身岡崎先生を以前からよく知っていて、心配していたそうです。「ひとまずホッと」したそうです。
『このマンガがえらい!』(1996年12月、宝島社)の10大ニュースの座談会で、岡崎先生の事故について語られる。
1997年
生命の危機は脱し、長いリハビリ生活に入る
月刊『FEEL YOUNG』2月号では、「岡崎先生は病院で33回目の誕生日を迎えました。来年のさらなる回復を読者と一緒に祈ってます」。3月号は、「回復の長い途上にある岡崎先生の容態を、これからも随時お伝えしていきます。激励の手紙、CDテープ等は編集部へ」これ以降の号では、編集後記で岡崎先生の情報はありません。
『クイックジャパン』No.12(2月下旬発売)に、岡崎先生の全単行本レビューが掲載されています。前書きに岡崎先生の現状。「病院でリハビリに努めているところで、回復に向けて毎日がんばっているとのことです」
月刊『噂の真相』4月号(3月10日発売)で「交通事故で危篤状態に陥った漫画界のニューウエーブの旗手・岡崎京子の奇跡に向けた闘病記”最新情報”」(レポーター正田佐世)という5ページの記事が載りました。内容からいうと”最新情報”はなく、夫や親しい編集者ら関係者への取材の結果、情報が乏しいのは周囲の人が語りたがらないためとしています。その理由として筆者は、彼女の病状がよくなく、再び漫画を描けないかもしれないため、今それを語ることは彼女を”過去の人”にしてしまうからみんな口をつぐむのだろうとしています。これは、誰もがうすうす感じていることです。待つ者の不安が初めておおっぴらに語られた、というのがこの記事の意義です。
当ページの見解としては、現在は長期のリハビリの途上で、まだ先のことを言える段階ではないと考えます。少なくとも悲観的になるのは早計でしょう。今は岡崎先生の生命力を信じて、手紙を書くなどして回復を待つ時期だと思います。
1998年
まだ意思の疎通は十分ではないらしい
5月、新刊『UNTITLED』編集付記からは、なお意思の疎通が十分ではないようです。
これは推測ですが、タイトルの「UNTITLED」というのは、岡崎先生に回復してあらためてタイトルを付けてほしい、という家族の願い、祈りのような気がします。
ロッキング・オン・ジャパン1998年11月増刊号『H』(ロッキング・オン、490円)に「岡崎京子とその時代」吉本ばななと貞奴の対談(p40-47)。事故当時の状況などが語られています。
2000年
意識と記憶はある程度回復したもよう
吉本ばななが『ばななブレイク』(『CUT』1996年9月号を再録)のあとがきで、事故の時に病院に駆けつけた小沢健二と一緒に鼻血が出るほどお祈りしたことを書いています。
『平坦な戦場でぼくらが生き延びること』(椹木野衣著)で、後書きに「僕のことを覚えていてくれた」とあります。これは、控えめに言っても、過去の記憶がある程度回復していること、会ったことのある人を認知し、さらにそれに対して何らかの意思表示ができたことを意味しています。久しぶりに、ずいぶんいいニュースです。
2002年
冗談に笑ったり、海に行ったり。かなり回復!
『文藝』別冊 岡崎京子特集(2002年3月発売)の巻頭によると、岡崎先生は冗談に笑ったり海まで出かけたり、けっこう元気なようです。
70年代後半から岡崎先生と親交を深めていた鈴木琢さん(当時音楽サークル『recycle circle』の世話人をしていた)と橘川幸夫さん(『ポンプ』創刊者)が、闘病中の岡崎先生にエールを送ろうと掲示板を立ち上げました。メッセージを本にして届けた時の岡崎先生の様子が書かれています。最近の岡崎先生の状態が、具体的によくわかります。
2004年
元気にリハビリの日々らしい
新刊『ぼくたちは何だかすべて忘れてしまうね』(平凡社、2004.2.21刊)の「著者略歴」より。「現在療養中。とはいえ、小沢健二の新譜を心待ちにし、TVや客人のギャグに大受けし、また食べ過ぎに注意しながら、パソコンレッスンをはじめ、のんびりとリハビリテーションに励む日々」
2月、『ヘルタースケルター』で文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞受賞。サイトにコメント「ありがとう」
4月、同じく手塚治虫文化賞マンガ大賞受賞。サイトに「現在自宅で療養中。(中略)見舞客の話に笑い声をあげたり、車いすで外出したりできるようになり、本作の出版にあたっては原稿のチェックもしたという。」と記載。弟さんのコメント:「このたびはこのような賞を頂き本人はもとより家族一同本当にビックリしております。もし姉だったらこの場で作品に携わったすべての方々に岡崎節で感謝の気持ちを伝えるのでしょうが、代筆で失礼いたします。皆様、ありがとうございました。」
2006年
笑いが絶えない
新刊『秋の日は釣瓶落とし』プロフィールより「現在療養中。毎日を暖かい家族と友達に囲まれながら、ゆっくりと確実に週一回のリハビリテーションに励む。家族とのチャンネル争いを繰り広げながらも、笑いが絶えない。お肌の調子良好。健康良好。」
2008年
温泉巡りなど積極的に外出!
『FEEL YOUNG』8月号別冊付録『岡崎京子デビュー25周年記念読本』に、弟さんのコメント「今でも岡崎京子は元気に家族と暮らしております。」
『リバーズ・エッジ 愛蔵版』10月、宝島社より発刊。あとがきより「自宅ではdvdで映画を鑑賞したり、機能回復の訓練を続けたりしている。家族と温泉巡りに出掛けるなど外出にも積極的で、家族の方によると「お友達に囲まれ、本人のたゆまぬ努力で回復に向かっている」とのこと。」グー!
2010年
小沢君のコンサートを見に行きました!
小沢健二のライブツアー「ひふみよ」5月24日中野サンプラザに、岡崎先生が来ていたとのこと。小沢くんがライブのラストで泣きながら紹介。 →詳細
小沢くんによると「足をバタバタさせて笑っていた」という →『岡崎京子 戦場のガールズライフ』
夏に『ジオラマボーイ☆パノラマガール』と『pink』の新装版出版。「表紙は既存のイラストから、岡崎本人がセレクトしたものを使用している」とのこと。 →コミックナタリー
7月に前出の橘川さんと鈴木さんが岡崎先生宅を訪問。 →togetter元気そうな模様 (^_^)
2012年
映画の試写を見に行く
1月、『ヘルター・スケルター』映画化に際して、弟・忠氏が岡崎先生のコメントを伝えています。(公式サイトより)
■映画化をOKした理由「新しい作品が描けない今、自分の作品に新たな命が吹き込まれる事に興味がある。」と。
■キャスト、りりこへの感想、期待:作者は、作品を通じて役者がどのようにりりこを演じるのか、大変興味を示しております。「原作に忠実に行うのも、演者の 体内を通してどのように変貌するのかも、受け入れる準備は出来ている。」との事です。又、「新たな解釈での新たなりりこを見てもみたい。」と。
■監督へのエール:「とにかく今、自分が新たな作品を世の中に輩出できないので、自分の作品を通じて、『ヘルタースケルター』がどの様に実写化されるのか、また、俳優、女優の方々のキャスティングや、監督の手腕で作品がどう昇華されてゆくのかなど、大変興味深く見守りたい。」との事です。
4月16日、小沢健二ツアー『東京の街が奏でる』最終日(東京オペラシティ)に岡崎先生来場。 →小沢健二『岡崎京子 戦場のガールズライフ』
5月14日、成城の東宝スタジオに家族と一緒に『ヘルター・スケルター』の試写を見に行く。
→橘川幸夫ブログ
桜沢エリカさんも同席 →NEWSポストセブン
2015年
岡崎京子展(世田谷)で掲示
展示の最後に「ありがとう」の文字。視線入力(トビー)で書かれたとのこと。
2016年
岡崎京子展 (伊丹市立美術館、7/30-9/11)に掲示
「おおきに おおさかのみんな おこしいただき ありがとう」
岡崎京子展 (福岡 三菱地所アルティアム、12/3-2017/1/22)に掲示
「福岡のみんな おこしいただきありがとう ばりうれしか」
2017年
あちこちおでかけ
岡崎京子先生が10月末の表参道ハロウィンイベントに参加しました。
表参道では毎年ハロウィンにパレードが行われますが、今年はその一環として小沢健二さんが中心となり10月29日に「home made halloween写真館」というイベントが開かれました。
小沢さんご一家と岡崎先生の他に、BOSEさんご一家もいらっしゃったそうです。おそらく小沢さんが岡崎先生をご招待したのだと思われます。
岡崎先生は魔女の帽子をかぶり仮装して、ご友人の方々と楽しく過ごしていたとのことでした。岡崎先生の本の装丁でおなじみの祖父江慎先生がデザインしたらしいです(『エッジ・オブ・リバーズ・エッジ』より)。
11月、小沢健二さんといっしょに映画『リバーズ・エッジ』の試写を見て、涙を流したもよう。→小川真司プロデューサーのツイート
2018年
1月31日、映画『リバーズ・エッジ』完成披露舞台挨拶で、二階堂ふみさんが岡崎先生のコメント「みんなみてね!!」を読み上げる。 →コミックナタリー
いつだかわかりませんが、最近スイスへ旅行したようです!!! (『エッジ・オブ・リバーズ・エッジ』より)
信じらんないほど元気! 嬉しい!!
2019年
11月11日、小沢健二さんのライブを聴きに行く