用語集 :岡崎さんの作品についてのキーワード
参考書 :作品の背景となった時代を理解するため
ひと
とにかく岡崎さんは、いろんな人とつながっていました。順不同。
荒木経惟
写真家。その写真には、エロスと生命力が満ちています。
岡崎さんは荒木さんを通して、写真の世界にかかわっていったようです。
→公式サイト →「写真」のページ
(参考)「アラーキーは殺されるべきか?」飯沢耕太郎
「アラーキーは、なぜ時代と乖離したのか?」畑中章宏
大原まり子
SF小説家。著書多数。『マジック・ポイント』(1993年)を共作。
→公式サイト
安野モヨコ
マンガ家。代表作は『働きマン』『ハッピー・マニア』『さくらん』等。レディース誌のみならずオヤジ誌やコドモ誌でも大活躍。『エヴァンゲリヲン』の庵野監督の奥さんでもある。
1990年代前半には岡崎さんのアシスタントをしていました。
2008年より病気のため『オチビサン』(朝日新聞連載中)以外休筆中。元気になってね。
2006年に雑誌『hon-nin』に連載した『よみよま』には、岡崎さんらしい人物が出てきた、らしい。
→公式サイト →公式facebook →ファンサイトシュガシュガルーン大事典
かとうけんそう
まんが家、俳優、ほか。岡崎さんとは親交が深かったらしい。
岡崎さんは加藤氏の本にまんがを書いたり、一緒に8ミリ映画『野球刑事ジャイガー』に出演したりしている。
→公式サイト
工藤キキ
アーチスト。落書き専門のアシスタントをしていた、らしい。現在NYで活躍中。
たしか『チワワちゃん』と『女のケモノ道』に「キキ」って名前が出てきたような…
→公式ブログ →はてなキーワード
小泉今日子
アイドル。特に80〜90年代に生き生きしていた。マネージャーに無断で髪を切ったり自分の等身大人拓を出すなど、当時としては型破りだった。ロンドンのストリート雑誌『i-D』をもじった『Ki-D』を『宝島』に連載したり、オシャレでも先進的だった。
1989年のツアーパンフレットや『裏小泉』に岡崎さんがマンガを描きました。
→公式サイト →ブログ
サエキケンゾウ
歯医者さん&ミュージシャン(パール兄弟)、プロデューサー。
岡崎さんはサエキさんの本のイラストを四冊描きました。
→公式サイトSaekingdom.com →ブログ
桜沢エリカ
マンガ家。岡崎さんとは1980年代の同時期に自販機本で作品を発表し始める、いわば戦友。
右の写真は『カドカワ』1990年月刊8月号より、右が桜沢さん。
→公式facebook
手塚眞
ヴィジュアリスト。
岡崎さんは手塚氏監督の映画『星くず兄弟の伝説』(1985年 →wiki)に影響を受けたそうです。また、手塚氏監督のパール兄弟のビデオに出演。キネ旬で対談したり、手塚氏主催の『最低8ミリ映画祭』に審査員として参加。
→公式サイトNeontetra →公式ブログTezka Macoto’s 6D
最低8ミリ映画祭について →ブログ『とんち協会&滑稽珍聞』
※『星くず兄弟の伝説』:近田春夫が映画『ファントム・オブ・パラダイス』に惚れ込んで作った映画。ちなみにバンド「ジューシー・フルーツ」も同根。2017年『星くず兄弟の新たな伝説』公開
野宮真貴
元ピチカート・ファイブのヴォーカル。モデル。オシャレでステキ。現在はお母さんまでしている。
→Maki Nomiya 30th Special Web Site →野宮真貴のおしゃれブログ
まゆたん
ミュージシャン。『マサ子さん』のボーカル担当だった。
アシスタントをしていた。
→公式twitter →ブログまゆたんのゆかいな毎日
吉本ばなな
小説家。『キッチン』ほか著書多数。作家同士の付き合いで友だちでもあったもよう。元々岡崎先生がデビュー前に投稿していた投稿誌「ポンプ」の読者でもあった。
→公式サイト
よしもとよしとも
マンガ家。岡崎さんのアシスタントをしていた。
→twitter
香山リカ
香山リカ。精神科医。サブカル系、ゆるい芸風で、著書多数。
岡崎さんは香山さん『リカちゃんのサイコのお部屋』の中で対談。香山さんはたびたび岡崎さんのことを書いている。
→公式サイト →twitter
小沢健二
ミュージシャン。渋谷系ユニット「フリッパーズ・ギター」を経てソロになり、その後渡米。小沢氏と岡崎さんはシンクロしている。小沢氏はフリッパーの頃の生への懐疑から「犬」を経て生へ回帰し「ラブリー」で爆発。岡崎さんは退屈な日常の居心地悪さから「リバーズエッジ」を転回点として「ヘルタースケルター」でエンジンがかかった時に事故にあう。
小沢氏は岡崎さんの「王子様」、相思相愛。事故の時には吉本ばななとともに病院に駆けつける。2010年5月のコンサートには岡崎さんの姿が! もしかしたら会場を「中野サンプラザ」にしたのは、岡崎さんが来やすいようにと下北沢から遠くない場所を選んだのかもしれない…
→公式サイト『ひふみよ』
橘川幸夫
橘川幸夫さんは渋谷陽一と共に『ロッキンオン』を創刊した後独立し、投稿誌『ポンプ』を創刊。岡崎さんは中学の時『ロッキンオン』を愛読しており、その流れで『ポンプ』の常連になる。
→橘川サイト →橘川twitter
大塚英志
漫画原作者。編集者だった当時、漫画『ブリッコ』で岡崎さんを見出し、初めての単行本『バージン』を企画。
→大塚英志のおたく社会時評
浅田彰
1993年京都大学の学祭で対談。
『東京ガールズブラボー』で電話対談収録。
事故の数日前にもNHKラジオで対談していたらしい。
→ブログ『king-biscuit works』
→2ch”Aquirax: 浅田彰 part11“(555を見よ)
→公式ブログ
テイ・トウワ
ミュージシャン。NWばんど「ディー・ライト」主宰。岡崎さんとは投稿誌『ポンプ』の頃からのつきあい。
→公式サイト →ヒット曲 “Groove is in the heart” in Vimeo
ホンマタカシ
写真家。岡崎さんとは対談をし、事故後は『リバーズ・エッジ』のカバー写真や、『マンガカメラ』で『リバーズ・エッジ』の架空映画化企画をしています。
→ホンマタカシを中心とした今日の写真情報サイト“between the books”
川勝正幸
自称「ポップ中毒者」。90年代に岡崎さんと一緒に仕事をしました。
→映画『うたかたの日々』についての対談(1994年)、『裏小泉』(1992年)、ビデオ『スチャダラ30分』(1991年)、『流行の素』のイラスト(1990年)、ほか。
→川勝氏のtwitter →川勝氏のブログ
『文藝』2001年秋号(岡崎特集号)に「彼女が若い世代へ向けてまんがを描く理由」という文章を寄せています。
参考:『「幻想の80年代」サブカル・ファイル』(Studio Voece 1996年4月号)
2012年1月永眠(→関連記事)。合掌
戸川純
ミュージシャン。誰にも似ていない個性を持ち、ユニット「ゲルニカ」「ヤプーズ」等で1980年代を席巻。岡崎さんは彼女の歌詞をたびたび引用している。
→公式サイト@sony
曽我部恵一
ミュージシャン(サニーデイ・サービス、曽我部恵一BAND)。同じ下北沢に住んでいて、時々岡崎さんについて言及している。
→公式サイト →公式twitter
椹木野衣
美術批評家。1995年の個展にアドバイザーとして関わる。2000年、岡崎作品を論じた『平坦な戦場でぼくらが生き延びること』出版(2012年増補版出版)。2011年『岡崎京子未刊作品集 森』で解説を担当。その他たびたび岡崎さんについての発言あり。
→公式twitter
用語集
思いつくキーワードを挙げてみました。
イーディ・セジウイック
1960年代にニューヨークでアンディ・ウォーホルの見出したスターとして脚光を浴びる。しかし精神的に不安定でまもなくアンディの元を去り、数年後に薬物中毒で命を落とす。
岡崎さんは1989年の『ROCK総集編』で好きなもののひとつに揚げている。のちに『ヘルタースケルター』のりりことして結実する。
→Wiki
下北沢
東京都世田谷区の、岡崎さんが生まれ育った地。本田劇場などがあり「若者の文化の拠点」の1つで、ごちゃごちゃしていて味のある街だった。しかし2000年に入り駅前の区画整理の話が持ち上がり、住民の間で何年も話し合いが持たれた末に計画実行が決まる。
「下北沢」がなくなるのを惜しんでか、曽我部恵一氏が『魔法のバスに乗って』のPVをオール下北沢ロケで歌っている。
→ヤギヤスオ著『るつぼな下北沢日記』太田出版 2001年
手塚治虫
岡崎さんが師と仰ぐ「まんがの神様」(^^;)。愛用のベレー帽もそのあたりから来ていると思われる。1989-90年の『ROCK』の頃が最も意識していた模様。
手塚氏はヒューマニズムの作家と言われていたが、その中心には不全感、無力感を抱えていた。生きている事に居心地の悪さを感じていた岡崎さんがそこに惹かれたとすれば、岡崎さんは正しく手塚氏の後継と言えよう。
1989年没。岡崎さんは告別式に参列した模様 →近藤ようこtw 町田ひらくtw
家族
作品の中には家族の話が繰り返し出てくるが、主人公はたいてい家族との間に疎外感を持っている。また、描かれる家族はどこかに傷があり、離婚、崩壊、疎外、関係の希薄、父親の不在などとして描かれる。家庭の中に居場所がないということが、繰り返し語られる。
作品の後書きやインタビューによると、岡崎さんは大家族で育つ中で、居心地の悪さを感じていたという。しかしいろいろ話を聞く限りでは、家族との仲はかなり良かったように思える。作者にとって家族とは親密でありかつすれ違うものだったのかもしれない。
死
1989年以降、作品にはよく人の死が描かれる。この死は、「死ぬこと」と「死んでいること」に区別される。
1.死ぬこと
他殺または自殺であり、攻撃性、憎悪、破壊性などによるもの。息苦しい世界をぶち壊したい、あるいは終わらせてしまいたいカンジか。
例としては『3つ数えろ』『リバーズ・エッジ』のカンナ、『エンド・オブ・ザ・ワールド』ほか。
2.死んでいること
.生きている実感がない、日常の停滞の象徴という側面が強い。「退屈」と同義。
『リバーズエッジ』の死体とハルナ、『恋愛依存症 KARTE.2』『チワワちゃん』ほか。
Slits
十代の岡崎さんが好きだった英国の女の子3人バンドthe Slits。 あまりの演奏のいいかげんさに、岡崎さんが「こんなんでもいいのか!!」と感動したという。 →Youtube
1976年結成、1981年解散。2006年再結成、2007年日本ツアー →公式サイト
(図左は『recycle circle』より)
ヤング・マーブル・ジャイアンツ
スコットランド出身の三人組みのバンド。78年〜81年。
→YouTube
『バージン』あとがきより
「そのあまりにつたないちせつさと、そのあまりにゆうがな何もなさにずいぶん勇気づけられたものです。」
→きじまさんのサイトモノノフォン
退屈
1980年代の初期作品に頻回に出てくる。
投稿誌『ポンプ』に起源があるのかもしれない。1979年の創刊0号に「たいくつという名の暴力」とある →週刊キツカワ
その発展形が後の「平坦な戦場」
参考書
「80年代ブーム」で当時についての本がいくつか出版されました。岡崎さんが活躍していたのはどんな時代だったのか、参考になりそうなものを揚げてみました。
『ポケットは80年代がいっぱい』
香山リカ著 バジリコ 2008年 1,575円
“岡崎以前”
80年代前半の香山氏の個人史。混沌としたエネルギーの渦巻く当時の空気が伝わります。岡崎さんのことは出てきませんが、当時の「脱構築」の雰囲気が、岡崎さんのパンクな姿勢を理解する上で参考になる、かも…
→ブログSpiritualBolshevik
『80年代』
前田タケシ著 宝島社 2003年 186ページ
未見。岡崎さんのことが少し書かれているらしい。
→Amazon